2008年7月7日更新 記者 おとなっち


「松方デフレ」とは何ですか?③松方正義の財政改革

大隈重信との対立により、大蔵官僚からの移動を突きつけられた松方正義でしたが、明治14年の政変により大隈は失脚。1881年(明治14年)、松方正義は大蔵卿(大蔵大臣)に就任し、「インフレ」の解決に全力を注ぎます。

市場に出回っている紙幣を回収するために、増税を積極的に行うのです。特に、娯楽品に占める増税の割合は大きく、「煙草」の値段が約7倍に、お酒は2倍以上に跳ね上がったそうです。(お菓子税なども創設しました)

政府は出費を減らすことに力を注ぎます。財政は厳しい状況に追い込まれていたので、民間でできる事を民間に委ねるために、官営企業を民間に売却したのです。これにより、運営費の経費を節減する事となります。(払い下げられた企業は財閥として成長していきます)

さらに、地方税や国税の増税を行い、金融の引き締めをさらに強化します。その結果、1881年から1884年までに3000万円弱の貯金を作る事ができました。

しかし、急激なインフレ対策の結果、今度は「デフレ」に陥ってしまい、人々の生活を苦しめるのです。厳しい増税の結果、庶民の手元にお金が残らず、買い控えが起きてしまったのです。そのため、商品をなかなか買ってくれず、値下げをせざる負えない状況に陥ってしまいます。特に米の値段が大幅にさがってしまい、農民達の生活を苦しめるのです。

明治初期のデータですと、働いている人の約70パーセントが農林水産関係の仕事に就いていました。国民の混乱を招いた松方批判は相当激しかったようです。農民達は、生活をするために土地を売却して小作人になったり、仕事を求め都心に移り住んだりすることになります。

一方政府は、一部の企業や払い下げられた企業に対し、保護政策をとっていました。例えば西南戦争では、すべての輸送を担当したのが「三菱商会」という会社です。この戦争で使われた金額のうち、1500万円が三菱商会に流れたと言われております。

農民の一部は都心に流れ、こうした保護政策で運営している体力のある会社に就職することになるのです。結果的にみると、日本の産業は農業から新しい産業に人材が移動していくことになり、近代化に発展していきます。

当時の紙幣は不換紙幣という「金や銀」に交換できないものが主流でした。松方正義は金や銀に交換できる紙幣「兌換紙幣」(だかんしへい)を目指します。インフレで「紙幣」に対する信用が低下していた状況を打開するために、「銀」との交換のできる保障がついた紙幣の発行を目指します。

そのためには、交換するための銀の保有量をふやさねばなりません。緊縮財政によりデフレを招いた結果、財政は豊かになり銀の保有量は増えていきます。そして、1885年日本銀行券(銀兌換紙幣)が発行される事になるのです。信用を取り戻した紙幣の流通により、産業はさらに発展していくのでした。

おじいちゃん
「鳩サブレー」は関係なかったんじゃね・・・


松方デフレとは何ですか?①
松方デフレとは何ですか?②
松方デフレとは何ですか?③

参考資料
日本銀行 歴史年号


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