2008年7月7日更新 記者 おとなっち


「松方デフレ」とは何ですか?②大隈重信の失政

物価 大蔵卿就任 出来事
1873年 明治6年 100 大隈が大蔵卿
1874年 明治7年 108
1875年 明治8年 113
1876年 明治9年 108
1877年 明治10年 111 西南戦争
1878年 明治11年 117
1879年 明治12年 128
1880年 明治13年 146 佐野(大隈派)が大蔵卿
1881年 明治14年 162 松方が大蔵卿
1882年 明治15年 156
1883年 明治16年 126
1884年 明治17年 110
1885年 明治18年 112
資料 吉野俊彦「円の歴史

上記は明治6年を100とした時の物価指数です。1881年に飛びぬけて物価が上昇しているのがよくわかります。1873年(明治六年)に大蔵卿に就任した大隈重信は積極財政論者でした。積極財政とは予算の支出を増やす政策のことをいいます。

資本整備が整っていない日本は、大幅な予算を捻出することでインフラ(経済の基礎)を整えようと考えました。この予算は国の産業を育成するための政策(殖産興業)などにあてられ、日本の企業が海外の企業と競争できる環境をめざしたのです。(当時は富岡製糸場など政府が経営する官営などにも力を注いでいました)

そして、1877年に西南戦争がおこるのです。大隈は戦費のために大量に紙幣を発行し、経済を大混乱させてしまいます。市場に出回った紙幣を回収するために、海外から資金を調達(外債)しようと考えます。(調達した資金で銀を購入し市場に出回っている紙幣と交換しようと考えた)資金を調達するという事は、将来的に資金を返さなければならず、支出が増えることになります。(積極財政)

この考えは、緊縮財政論者の「松方正義」の抵抗により中止になりました。

インフレを解決するために、大隈の考え方が一変します。今まで積極的だった「殖産興業」を見直し、官営企業を民間に売却しようと考えたのです。(払い下げ) さらに、増税をする事で、市場に出回っている紙幣の回収を目指します。

しかし、大隈派の黒田清隆が大阪の実業家「五代友厚」に対し、格安で官営企業を売却したことが問題となり、大隈は伊藤博文らによって追放されてしまいました。(明治14年の政変) ちなみに、五大友厚は大阪証券取引所の前身である大阪株式取引所を作った人です。


ここで、松方正義が登場します。松方の財政政策がデフレを招き、数多くの失業者を生み出しすことになります。一方、現在でも松方の政策を評価する専門家も数多く存在しています。その後、第四代と第六代の内閣総理大臣になる「松方正義」はどのような財政政策をとったのでしょうか?


続きはこちらです


松方デフレとは何ですか?①
松方デフレとは何ですか?②
松方デフレとは何ですか?③


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